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余命宣告を受けた私のブログが誰かの希望に
- インタビュー
- ミミポポ
乳がんの経験を経た“今の私”だからこそ、書けるブログがある
アメブロを始めてみたのは、余命宣告を受けてから1年後のこと。
そのきっかけとなったのが、訪問看護師さんからの何気ない一言でした。
余命宣告後の私は、いつ死んでもおかしくないという状態で、主治医の先生を含めた周りの人たちみんな、諦めたような空気が漂っていて。
そんな中、私だけは不思議と「絶対に死なない」という気持ちでいられたんです。
「これまで自分のためだけに生きてきた私が今死んでしまったら、神様も不服やろうな」って心の中で思ってたからかもしれません。
最初は、そんな私の言動を受けて看護師さんも「事の重大さをわかっていないのでは…?」と若干戸惑っている様子でした(笑)
ですが、周囲の予想に反して、どんどん回復していく私の様子を見て、次第に看護師さんも受け止め方が変わってきて…「ミミポポさんと会うと元気をもらえる」と言ってくれるようになったんです。
その流れで「ブログを書いてみたら?」と提案を受けて。
言われた当初は、やってみたいという気持ちはありつつ、「まだ乳がんが治ってもいない私の声なんて誰が聞くんだろう?」という迷いもありました。
そんな折に「今の状態のミミポポさんから気付かされることがある」「むしろ今のミミポポさんだからこそ書けることがたくさんあるよ」と言ってもらえて。
「“今”の自分がブログを書いてもいいんだ!」と思えたことが、最初の一歩につながった気がしますね。
希望をもてる発信で、みんなと前に進みたい
ブログひとつで外の世界と繋がれたことも、当時の私にとってはすごく大きかったです。
一日中寝たきりで、何かやりたくても、立つこともままならない。
日常に「できない」が溢れていき、どんどん自分の世界が狭まっていく感覚がありました。
でも、寝たきりであっても始められたのが、ブログです。
「何もできない」から「できる」をひとつ積み上げられて、なおかつ外の世界との繋がりができたのはとても嬉しかったですね。
ブログを始めた当初から続けていることは、みだりにマイナスな発信はしないこと。
乳がんを患った当時、「乳がん」で検索すると、とても最後までは読めないような内容の情報ばかりで、怖くなってしまったんです。
なので、ありのままを綴ることは意識しながらも、むやみに読者さんを不安にさせるような発信はしないように心がけてきました。
それから徐々に「力をもらえました」「希望になりました」と言ってもらえることが増えてきて。
今では逆に、私が落ち込んでいるときなどに、これまで私が発信してきたような言葉を読者さんからもらえることも。
私にとってアメブロは、発信の原点でもあり、ホームのような場所。
これからも、ただ応援されるだけではなく、私からも人を勇気づけられるような言葉を紡いで、病気を乗り越えた先にあるゴールを、みんなと目指していきたいなと思っています。
アメブロは、等身大の私でいられる場所
ここまでアメブロを続けてこられたのは、「まずは自分が楽しむこと」に重きをおいてきたからかもしれません。
「誰かのため」ももちろん重要ですが、まずは「自分のため」を一番に持ってこないとしんどくなりがちです。
かくいう私も、少し前まではひとつの記事にすごく力を入れていて、1日1投稿で精一杯だった時期も。
病気のことだけではなく、日常についても触れていきたいと思う反面、「私の日常なんて誰が知りたいの?」「乳がんに関係ない投稿なんてしていいのだろうか…」という思考に囚われてしまったんです。
でも、私にとってはただの日常でも、第三者から見れば「乳がんを経験している人目線の日常」であって、それはそれで価値のあるものなんだと気づいたときから、より肩の力を抜いて楽しめるようになりました。
今やいろんな発信ツールがありますが、アメブロは「等身大でいることがもっとも好まれる場」なのかなと思います。
だから、何か発信したいなとお考えの方にとっては、いちばん始めやすいのではないでしょうか。
何かを始める時は、ついつい「できない理由」を探してしまいがちですが、ひとつでも「できる理由」があれば始めてみるのが一番です。
「こんな私なんかが…」ではなく、むしろ「こんな私でええやん」ってマインドで!(笑)