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ブログを通じていま「亡き妻の愛を娘に届けたい」

  • インタビュー
  • 安武信吾

命懸けで産んだ妻の思いを、娘に知ってほしかった

実はこのブログは、娘にも亡き妻の言葉を届けようと思って書き始めたものなんです。


2008年に妻が癌で旅立って以来、父ひとり子ひとりとなった僕たちは、さまざまなことを共に乗り越えてきました。ところが、娘が高校生になった頃からほとんど会話もなくなりましてね。やり取りといえば、毎朝のお弁当の受け渡しくらい。

それが二年ほど続いたあるとき、娘が僕に靴下を贈ってくれたんです。そこに添えられていた手紙には「はなの心が大人になるまで我慢してね」と書かれていました。だから、僕が親としてやるべきことは「待つこと」だと思ったんですよ。


ところが大学に進学した娘は学生生活やらアルバイトやらで、昔のようなコミュニケーションは取れなくなってしまって。娘と一緒にいられる時間が残り少ないことに気づいたとき、妻が生前綴っていたブログ*を娘にも読んでもらいたいと思ったんです。ブログには、妻が闘病中に命懸けで娘を産んだことや、娘の存在のおかげで苦痛な抗がん剤治療を続けられていること、娘を産んで心からよかったと思っていることなど、娘への思いがたくさん綴られているんですよ。ブログを通して妻の愛を娘に伝えることで、僕の最後の子育てにしようと。

そんな思いから、妻のブログの引用に僕の言葉をつけて更新する今のスタイルが出来上がりました。


※安武信吾さんの妻・千恵さんは、娘のはなちゃんが5歳のときに逝去。癌と闘いながらもはなちゃんに生きる力を身につけさせるべく、最期のときまで「みそ汁」作りを教えました。当時の一部始終が綴られた千恵さんのブログは、現在に至るまで、書籍や映画、スペシャルドラマなどさまざまな形で伝えられています。

共感の声や新たなチャンス……ブログを通じて得られた実り

僕は娘に向けてブログを書いてきたつもりでしたが、読者層を見ると、同じ年頃の子どもをもつ30代から50代の女性が多いんですよね。皆さん、自分の家族や親子に置き換えて読んでくださっているようです。たくさんの共感の声をいただけるので僕も励みになりますし、逆にいろんな気づきをもらうことができて楽しいです。こうした読者とのやり取り自体、新聞記者時代には生まれなかったことですね。


さらに、ブログを通じて新しい道が拓けたこともありました。先日「趣味でウクレレを始めました」と書いたところ、ある会社から“音楽をテーマに何か企画を立ててほしい”という依頼を受けまして。「家族を100組ほど招いてウクレレ講座兼ミニコンサートを開きましょう」と提案したら、それが見事採用され、僕は“ウクレレ講師”の肩書きまで手に入れてしまったんです。


会社を退職し、今後大きな組織で働くようなことはないと思いますが、こうして少しずつ自分の好きなことが仕事になっていくのはやっぱりワクワクしますね。たとえ小さなことであっても、いくつもキャッシュポイントを作れるのもブログの魅力ですし、アフターコロナならではの新しい生き方だなと思います。

大事なのは読者が自分ごとにしやすいよう“一般化”すること

長く続けるコツ?技術的な話になってしまうかもしれませんが、ひとつの記事の中にいろんな情報やエピソードを盛り込みすぎないことですかね。

あまり情報が多いと読む方も散漫になってしまうので、ひとつのエピソードと自分の中の気づきを合わせて書いています。表面的な出来事だけでなくね。


一般化して書くことって、共感してもらうのにすごく重要な要素じゃないかと僕は思うんですよ。読者の方にも自分ごととして読んでもらい、何か新たな思考や気づきを促すことができたら、と思いながら書いていますね。


なんかね、僕、いま楽しんでブログを書いているんですよ。妻がブログを書いていた当時は、どうしてあんなにのめり込んでいるのか不思議だったんです。主治医に会えば「何か笑えるネタないですか?」って。いま思えば、妻のブログの読者は女性のがん患者さんたちが多かったから、きっと彼女らに笑ってほしかったんでしょうね。自分がブログを書き始めて、当時の妻の気持ちが少しわかってきたような気がします。

妻が旅立って16年。こんなに時を経てなお、またひとつ夫婦で分かりあえたような気持ちにさせてくれたブログには、とても感謝しています。

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